minofoto and miscellaneous notes

個人的な備忘録ですが、たまに広く読んでもらいたい記事を書くこともあります。記事は随時修正したり追記したりすることがあります。

努力が報われるという共同幻想

来年度から公立学校でも「ゆとり教育」が終了するそうです。しかしあくまで文科省は「ゆとり教育の否定ではない」という見解を出しているようです。小中学校では例えばこんなパンフレットが配られているようです。土曜授業の復活や授業時間数の増加があるようです。

見解はどうであれ、ゆとり教育団塊ジュニア世代の受験競争激化の時代に企画され、少子化の時代に合わなくなり廃止されるというのが本当のところなのではないでしょうか。ゆとり教育が何を目指していて、何を成果として得たのか、無知なので私にはわかりませんが、結局、受験競争については何も変わっていないように思えます。

受験競争というのは、クラスの中で誰が一番高い点を取るか、というところから始まって、誰が一番良い高校や大学に行くか、誰が一番良い会社に就職できるか、誰が一番同僚の中でいい評価を得て出世できるか、というところに行き着くようですね。例えば「休日に会社からの電話に怯える彼女を見て思う」 のような記事を読んでも、会社同士の競争、同僚同士の競争に常に追いまくられている人の姿が目に浮かんできます。いや、他人事ではなくて自分だってその一員なのですが..。

でも、競争に勝てばいいんでしょうか?

例えばスティーブ・ジョブスは一見競争に勝っているようでいて、実は AndroidAmazon と競争している訳ではないんじゃないかと思います。彼にとってはいかに楽しい体験ができるコンピュータを作るか、こそが目的で、競争はただ業界で死なずに生き残るための手段に過ぎないのではないかと、彼の発言を見ていると思います。

もちろん競争があるからこそ、アップルはここまで強くなったという面もあるのでしょうが、競争して強くなれるのは、彼のような能力があってトップに立てる人に限られる。スーパーの店員までもが競争したからといって、強くなれるとは思いません。鬱病患者を増やすだけでしょうね。

考えてみれば、ゆとり教育には、そういう競争ではない価値観を作り出す、という期待があったのかもしれません。でも少子化と景気の低迷のせいもあるのでしょうが、それはあまり成功したようには見えません。むしろ社会の中ではタコ壺の中のちまちました競争が激化して、多様化には失敗しているような気もしますが、それとゆとり教育の関係もわかりません。たぶん誰にもわからないでしょう。

競争に勝って生き抜く、という価値観は自分の中にも植え付けられていて、自分の中から「競争」という思い込みをなくすのはなかなか容易ではありません。でも、競争に勝つ、ということはひとつの幻想であって、見かけがどうであれ、競争することにはほとんど意味がないのではないかと思い始めています。少なくとも自分は競争しないで生き残ること、生き残りさえすれば勝たなくてもそれでいい、そういう価値観で暮らしたいと思います。こういう考えが広まると世の中もっと暮らしやすくなるはずですが、そのためは「競争しない」という確固たる信念が必要なのではないかと思います。しかし、その信念の拠って立つ場所をまだ見いだすことが出来ていません。

本当はこの文章は、レジデント初期研修用資料 「理不尽にやると上手くいく」 の記事がどうしても飲み込めなかったので、読解しようとして書き始めたのですが、どうにもそこまで至りませんでした。気が向いたら続きを書きます。


続きも書きました。
「理不尽にやると上手くいくもの、いかないもの」です。