minofoto and miscellaneous notes

ごく気まぐれに,書きたいことを適当に書いています。本当の話かもしれませんし,フィクションかもしれません。

the last days

写真は通いつめた近所の居酒屋のトイレにあるマスター手書きの色紙。


とある事情からひとりで暮らすことになった。もともと酒が強くもなく、居酒屋に一人で入ったことなどない。でも、さすがに誰かと雑談しながら夕食をとりたいと思い、「食べログ」や「ぐるなび」などのサイトで、ひとりで入りやすそうなバーか居酒屋を探し始めた。順番に探検してゆこうと、近所でいくつかピックアップしてみたが、最初にふらりと入ったのがこの店。

駅前の繁華街から外れた暗い幹線道路沿い、通勤路沿いでもない、やや古い感じの奥まった入り口、ずらりと焼酎の並んだカウンターに誰もお客がいない... と、普通なら敬遠したくなる条件ばかり。でも、ためらいもなく入ってしまったのは、それだけ自分が切羽詰まっていたのかもしれないし、何かに呼ばれたのかもしれない。

そしてそれから、ほぼ毎週そこに通うことになった。

こういう店に入るのも慣れず、周りの人に何と話しかけていいか分からなかった。店主のことをみんなが「マスター」と呼んでいることを真似して、そう呼べるようになったのは、たぶん3回目ぐらいだったかな。でも、上の写真のような言葉を書くマスターが居たからこそ、落ち着いて食事をし、酒を飲みに通いつづけた。優しい人だが、ときに厳しく、態度の悪い客を追い出すのを見たこともある。客同士の人間関係にも注意を払い、小さな店を快適な場にしてくれていた。そういう店を通じて、たくさんの人に出会うことができた。
そういう場に、出会いに、そしてもちろん料理と酒にも魅かれ、2年ほど、通い詰めた。

ある日突然、客が少なくやっていけないので、店を畳むとマスターから聞かされた。不覚にも出そうになる涙をこらえた。閉店が決まってから、店を惜しむ客が列をなし、連日満席になった。いかに愛されてきたかが分かると同時に、どうしてここまで惜しむ客がいて閉店せざるを得ないのか、複雑な思いも去来する。

きっと「歩」だったんだろうな、と思う。

「歩」には「歩」だけが持つ魅力がある。それが分かる人だけが集った。だからこそ、豊かな場所になったのだと思う。そして、ふと思う。王将は取られたら終わりかもしれないが、歩は、取られたとしても、また盤面に出ることができる。

いままでありがとう。おかげで、人生の一局面を乗り越えられたと、思う。