minofoto and miscellaneous notes

ごく気まぐれに,書きたいことを適当に書いています。本当の話かもしれませんし,フィクションかもしれません。

波乱の2021年

今年はコロナ禍に入って2年目。
SARS-CoV-2 の第一波は横浜のクルーズ船の騒ぎの次に、昨年の北海道雪まつりから始まった。夏の第二波は札幌には来なかったものの、今年の初めは第三波の中で始まり、5月のα株による第四波、そして8月の第五波はδ株が猛威を振るった。さいわいにも、職域接種でモデルナワクチンを打ってもらうことができた。職域接種は、会社の横のつながりで飛行機に乗って東京で受けるという裏技だったために、移動中に δ株に感染してはかなわないと、KN95 マスクや KF94 マスクを装備し、万全の警戒態勢での移動となった。さらに出張と組み合わせて出張先のホテルで1日発熱に耐えた翌日に打ち合わせというハードなスケジュールだった。それでも mRNA ワクチンを接種できたことは幸いだった。

そうやってコロナ禍の中でも結果を出して行く一方で、会社の先行きは細るばかり。いくら自分たちが結果を出しても、その先が見えないという絶望的な状況になった。おかしなマイクロマネジメントが始まり、一番良く働いていた中堅2人が不満をぶちまけて続けざまに退職してしまった。代わりの人材募集の代わりにコンサルに業務を丸投げするとのこと。そのうえ社内体制が改悪され、自分が持っていた権限を事実上失ってしまった。これまでのように現場での判断も自由にできなくなった。毎週の会議はパワハラすれすれの取締役の独壇場になり、発言も自由にできなくなった。

もともと多少あった睡眠の問題が悪化し、夜中に必ず二三回目が覚めるようになった。朝起きると無意識に「ああ疲れた」と呟くようになり、昼間も疲れがとれない。メンタルクリニック睡眠薬など処方してもらって、ようやく眠れるようになった。

そんな中、会社からはほとんど無視されながら、社外の共同研究者と論文を出すことができた。また、これまでの私を知っている方から、面白そうな転職先を紹介してもらえた。お話を聞かせてもらって、「よしここだ」とすぐに決断し、正式な内定をもらう前、給与すらわからない段階で退職を願い出た。紹介してくれた方の信用があったからこその大博打だったが、面倒なパワハラに合わないため、そしていろんな方への義理を果たし、嘘をつかずに信用を守り切るためのギリギリの線だった。妻の仕事も、たまたまキャリアアップになりそうなところが公募を出していて、そちらも内定をもらうことができた。しばらく落ち着くつもりだった札幌から東京への引っ越しは大変だけど、これもまた縁だと思う。

新しい仕事は面白そうだけど、自分が本当にこの仕事に貢献できるのかな、と不安もある。この歳になってよくこんな無茶できるよな、と自分で呆れている。でも、これまでの失敗を繰り返さない要素は揃えられたと信じている。来年は、引っ越しのタイミングと ο 株の感染爆発が重ならないことを祈るばかりだ。

2022年は新天地への異動で幕を開ける。人生は面白い。本年もよろしくお願いします。