minofoto and miscellaneous notes

ごく気まぐれに,書きたいことを適当に書いています。本当の話かもしれませんし,フィクションかもしれません。

若山牧水と釈迢空

小学生の頃、自殺願望があった。

通っていた近所の小学校の向こう側には、夜になると真っ暗な裏山があり、狐が棲んでいた。夜中にそこに忍び込み、木の枝にロープを吊るせば首を吊ることができる、そんなことを思い描いていた。なぜそう思っていたのか定かではない。たぶん理由などなかったのだろう。漠然とした孤独感と寂寥感、形のない自殺願望を小学校に上る前から抱いていたことは覚えている。
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外面的には、健康に大きな問題はなく、食べるのに困ることもなく、住むところにも困ってはいない。家族にも恵まれ、客観的に見ればむしろ恵まれた生活をしていたはずだ。子供が死に関する話をすると激しく当惑される。それもよくわかっていたから、そんな話を親にも他人にしたことはほとんどない。でも実際のところ、生きていると辛いことはたくさんあって、たまに楽しいことや素晴らしいことがある、生きるとはそんなものだと思ってきた。世の中の多くの人はどうやら違うらしいということは、もう少し大きくなってから理解するようになった。「死にたいなんて思ったこともない」「学校が嫌だなんて夢にも思ったことがない」という人が実在する、いやむしろ、そちらのほうがどうやら多数派のようだ、ということを知ったのはたぶん中学生ぐらいか、それより後だったかもしれない。

子供の頃、お風呂で父が「自殺がいかに痛くて苦しくて辛いか」という話を始めたことがあった。富士の樹海で首を吊った人があわやのところで助けられ、「痛くて辛かった。助けてもらってありがたい」と言ったというようなエピソードを語ってくれた。あまりに唐突な話への違和感から、その話はずっと忘れなかった。今思えば、父もまた私と同じような漠然とした不安や自殺願望を抱きながら生きてきた人なのかもしれない。息子に同じものを感じ取った父が私にくれたメッセージだったのかもしれない。こういう感情的な傾向や性格は遺伝するものなのだろうか。いずれにせよ、その記憶は私をずっと支え続けた。死にたいという気持ちが浮かび上がると、決まってその時の父の声がふんわりと、私を押しとどめてくれた。

実際には、首を吊るロープを用意するといった具体的な行動に及ぶことはなかった。ただ子供らしからぬ漠然とした孤独感、寂寥感、不安感をずっと抱えつつ、表向きは子供らしく生きてきたのである。


そんな子供がある日、国語の教科書に、こんな歌を見いだした。

「幾山河越えさりゆかば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅行く
 葛の花踏みしだかれて色あたらし この山道を行きし人あり」

たったひとりで果てしない旅路をゆく若山牧水の寂寥感に続いて、釋迢空の鮮烈な葛の花の色が、決して届かないわけではない「何か」を予感させる。

この教科書を読んだ多くの子供たちは、読んですぐ忘れてしまっただろう。しかし少なくとも私は、この二首が並んでいることに衝撃を受けた。生きることへの漠然とした不安、寂寥感をそのまま受け止めてくれる若山牧水の歌。それだけで終わらせずに、かすかな希望の色を葛の花に託して見せてくれた。よくもまあ小学生に向かってこの鮮烈なメッセージを発してくれたものだ、と名も知らぬ教科書の編纂者に今更ながら感嘆し、感謝する。ひょっとしたら、私のような子供がいることを知るどこかの先生が贈ってくれたメッセージなのかもしれないとすら思う。父の言葉とともに、この二首は、辛いことが起きるたびに膨れ上がる心の底の空洞を埋め続けてくれた。歩き続ける長い長い山道には、いつもこの景色が重なって見えていた。
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さて、私は見知らぬ誰かに、こういうメッセージのバトンを繋ぐことができるだろうか。この歌に出会った頃ほどの鮮烈な感受性はもうずっと前に失ってしまったけれど、それでも、こんどは私が誰かに向かって、あの葛の花のような希望のメッセージを伝えることができるのだろうか。